塾長ブログ No.82 2024/6/4 御堂関白記 その3
塾長ブログ朝、日記を書いていると最近は、飼い猫の兄弟が邪魔をしにきます。
ま、それなりに楽しいんですけどね。
さて、3回に渡って書いた『御堂関白記』、最終回の今日は、古典の中に描かれた藤原道長のエピソードを集めてみました。
まずは、若かったころのやんちゃな時分。
季節は、ちょうど今頃。雨がしとしと降る夜更け。
何もすることがなく手持無沙汰だった当時の花山天皇(17才)が、「こんな夜は肝試しをしよう」と道長兄弟にそれぞれ行く場所を指定して証拠を持って帰れと命じました。
現代のように街灯もない平安時代。
それぞれ宮中の人気のない闇夜の中を行った道隆・兼道の兄2人は途中でビビッて帰ってきました。
鬼を見たとか、身長3メートルの人影を見たとか真っ青になって。
なかなか帰ってこない道長でしたが、しばらくして木切れを手にして戻ってきました。
普段誰も行かない御殿の柱を削って来たというので、翌朝花山天皇が家来に見に行かせたところ、バッチリ一致してました。
この時道長まだ10代。
これもまた10代の頃のお話、藤原公任(ふじわらのきんとう)は、道長のいとこにあたり、秀才でした。道長の父・兼家(かねいえ)は公任について「どうしてあの子はあんなに頭がいいのだろう。うらやましい。うちの子どもたちは、あの子の影すら踏めないのは誠に残念だ」といいました。すると道長の兄たちも「お父さんがそう思うのは無理もないことだ」と、はずかしがりました。しかし、一番下の道長は、「あの男の影は踏まないが、いつかあの顔を踏んづけてやる」と、きっぱり答えました。
この頃から負けん気が強かった。
最後に、おじいちゃんになってからのエピソード。娘を天皇のお后(きさき)にして念願の初孫。それも男の子。次期天皇が生まれました。その子の生後50日のお祝いの宴会で、抱き上げたところ、おしっこをかけられました。
「男の子が生まれたからこそおしっこをかけられたんだ、こんなうれしいことはない(笑)」と大喜びのおじいちゃんぶりを発揮。
また奥方(道長の奥さん)があまりの酔っ払いぶりに怒って部屋に帰ろうとしたところをあわてて後からついていって謝ったと源氏物語を書いた紫式部が自身の日記の中に書いています。ま、こうしてみると人間味のある政治家だったんですね。
最近、テレビはあまり見ていないのですが、日曜日のNHK大河ドラマは1週間の楽しみで見ています。
紫式部の生涯を描いた『光の君へ』。
歴史の教科書の中の味気ない出来事が、ま、フィクションもかなり加えてあるでしょうが、なかなか面白く描かれています。
歴史が今一つ、面白くなくて苦手だっという人は少し、楽しくなってくるかも。