塾長ブログ No.127 2025/6/3 ごはん
塾長ブログ長生きしていると節目節目にお祝いがあります。
60歳を還暦、70歳を古稀。そして88歳のお祝いを「米寿」といいます。
「米」という漢字を分解すると「八+十+八」。
お米を作るのには、88以上の工程で手間暇をかけていると言われています。
5月の田植えから9月の稲刈りまで。
日照り、大雨。台風に冷害と自然との闘いです。
さて、お米。不足しています。
前の大臣は「お米は買ったことがありません。もらっています」と言ったとか。
どこかズレていますよね。
ずいぶんと前になりますが、今は某放送局に勤めているH君が大学受験生の頃自習に来ていました。
お母さんが入れてくださったお弁当を食べるところでしたので横でしばらく付き合いました。。
単語帳を見ながら「いただきます」と手を合わせ、お弁当のふたについたご飯粒を丁寧に箸で集めて、一粒残さず食べて、また手を合わせてから机に向かいました。
誰に教わったというのでもなく、ごはんへの敬意と誰かの手間への感謝が表れていました。
考えてみれば、ごはんは不思議な存在です。 パンを毎日食べるのは飽きてしまうけれど、ごはんなら毎日いける。 日本人の体と心に、深く根ざしているのでしょう。
昔のお米は「食べるもの」である前に「納めるもの」でした。
年貢、すなわち税としての役割を果たしていたのです。
税の穀物を表す「のぎへん」がつくのも、そこに意味があります。
大正時代には「米騒動」が富山から全国に広がりました。
暮らしに直結する米の高騰に女性たちが立ち上がった。そこにあるのは、生活の不安ではなく、生きる根の部分への危機感です。
日頃、当たり前に思っていたものが、ある日突然当たり前でなくなる——お米も、そうかもしれません。
「いただきます」には、実はとても深い意味がある。
今日もきちんと食べて、また勉強をがんばろう。
そんな気持ちを、白いごはんが思い出させてくれました。