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塾長ブログ No.185 2026/10/20 国語教師の独り言

塾長ブログ 塾長ブログ No.185 2026/10/20  国語教師の独り言

教養としての国語

高校生の全国模試を解いていると、国語教師として、思わず考え込んでしまうことがあります。

おぼろに
たっての
にべもなく
杓子定規に

高校1年生と2年生の模擬試験で出題された意味を問う問題です。

さて、皆さんは、これらの意味をすぐに説明できるでしょうか。

「おぼろに」は、ぼんやりとして、はっきりしない様子。
「たっての」は、どうしても実現したいという強い願いを表します。
「にべもなく」は、愛想や思いやりがなく、そっけない様子。
「杓子定規に」は、決まりや形式にとらわれ、融通を利かせずに物事を扱う様子です。

どれも、特別な専門用語ではありません。小説や評論、新聞、日常の会話などでも出合うことのある表現です。

しかし、こうした言葉の意味が十分に身についていなければ、文章の内容を正確に理解することは難しくなります。
言葉の意味がわからないために、書き手の意図を取り違えてしまうこともあるでしょう。

もちろん、知らない言葉があること自体は問題ではありません。
僕が気になるのは、こうした言葉に触れる機会そのものが減っているのではないか、ということです。

  模試の問題に村上春樹氏について論じた評論が出題されていました。
氏の作品が外国語に翻訳されることを意識した書き方について述べた内容でしたが、そもそも村上春樹氏がどのような作家なのか、文学の世界でどのような位置を占めているのか。そうした背景を知っているかどうかによっても、文章の読みやすさは変わってきます。

もちろん、評論に書かれている内容を理解するために、作家についての予備知識が必ず必要というわけではありません。大切なのは、文章そのものを丁寧に読み、書き手の論理を追うことです。

しかし、芥川賞や直木賞、さらにはノーベル文学賞といった文学賞について、基本的な違いや意味を知らないとしたら、どうでしょうか。

芥川賞と直木賞は、どちらも日本の文学賞ですが、対象とする作品の傾向には違いがあります。
また、ノーベル文学賞は、国際的な文学の世界を考えるうえで重要な賞です。
こうした知識は、文学を専門に学ぶ人だけのものではないでしょう。

文学賞の名前を暗記すれば国語の力がつく、という話ではありません。
ただ、日頃から本を読んだり、文学に関する話題に触れたりしていれば、自然と身についてくる知識もあります。

小説を読む生徒さんが、どうも少なくなってきています。

いや、小説に限らず、まとまった活字を読む機会そのものが減っているのかもしれません。

その結果なのか、長い文章を最後まで読み通し、書き手の論理を追いながら内容を理解するための集中力も、十分に育っていないのではないかと感じることがあります。

大学入試の文章は、決して短くありません。
評論の論理を追い、複数の資料を読み比べ、設問の意図を考える。
そのためには、単に情報を処理する技術だけでなく、文章とじっくり向き合う力が必要です。

では、その力はどこで育つのでしょうか。

僕は、小説を読むことも、その大切な機会の一つだと思っています。

芥川龍之介 『羅生門』 志賀直哉 『城の崎にて』 夏目漱石 『こころ』 中島敦 『山月記』

いずれも、日本文学を語るうえで欠かせない作品です。
あらすじを知るだけなら、短い解説を読めば済むかもしれません。
しかし、小説の本当のおもしろさは、あらすじだけでは伝わりません。

登場人物は、なぜそのような行動を取ったのでしょうか。
なぜ、ここでこの言葉が使われているのでしょうか。
表面に現れた言葉と、その内側にある気持ちは同じなのでしょうか。

そうしたことを考えながら読むことで、僕たちは人の心の複雑さに触れることができます。

いわゆる「人の機微」というものです。

ところが、学校の国語の授業では、こうした小説の読み方を十分に学ぶ機会がないまま、次の単元へ進んでしまうこともあるようです。

もちろん、学校の先生方にも授業時間やカリキュラムの制約があります。
現代文、古文、漢文という従来の枠組みから、「言語文化」などの科目へと再編された現在、授業の組み立て方も複雑になっています。

公立高校では、限られた時間の中で幅広い内容を扱わなければなりません。
だからこそ、何を丁寧に教え、何を生徒さん自身に考えさせるのか。その選択が難しくなっているのでしょう。

一方、私立高校には、土曜日の午前中も授業を行う学校があります。
学校ごとに授業時間や教育課程の編成にも違いがあります。

教育課程を考える立場にある方々にも、それぞれの理念や事情があるはずです。
ただ、どのようなカリキュラムを組むにしても、実際に授業を受ける生徒さんたちが、どのような環境で学んでいるのか。
その現実を忘れてはならないと思います。

そして、もう一つ気になることがあります。

問題集や参考書を読んでいると、解説の中で、登場人物の心情や表現の意図が、あたかも最初からわかっているかのように説明されていること。

しかし、初めて作品を読む高校生にとって、その心情を読み取ること自体が難しいのです。

「ここは主人公の葛藤を表しています」と解説されても、なぜそう読めるのかがわからなければ、次に別の作品を読んだときに応用できません。

だからこそ、僕は国語コースの授業で、答えを教えるだけでなく、そこに至るまでの読み方を大切にしたいと思っています。

登場人物の言葉に立ち止まり、行動の背景を考え、文章に書かれていることと、書かれていないことの間を想像する。

すぐに正解が出なくてもかまいません。自分なりに考え、ほかの人の読み方にも触れながら、少しずつ理解を深めていけばよいのです。

小説を読むことは、大学入試のためだけにあるのではありません。

人の心は、いつもわかりやすい言葉で説明されるわけではありません。何気ない一言に思いが込められていたり、言葉とは裏腹な気持ちが隠れていたりするものです。

そんな人の機微に気づけることも、国語を学ぶ意味の一つではないでしょうか。

全国模試の一問から、少し話が広がってしまいました。

けれど、国語教師として、僕はそんなことを考えています。

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