塾長ブログ No.182 2026/9/29 辞書の上の散歩道
塾長ブログ最近、高校生が辞書をひく姿を、本当に見なくなりました。
いや、正確に言えば、「紙の辞書」をひかなくなったのです。
電子辞書さえも、少しずつ姿を消しつつあります。
学校から一人一台のタブレット端末が配られ、辞書も翻訳機能も、さまざまな学習教材も、その薄い画面の中に収まっているからです。
もちろん、デジタルは便利です。
分からない単語を入力すれば、瞬時に意味が出てくる。
英文を入れれば、あっという間に日本語に訳してくれる。
けれども、僕はそこに少しばかりの「怖さ」も感じています。
たとえば和文英訳の課題を出したとします。
以前なら、まず自分の知っている単語を思い浮かべ、辞書を開き、似た意味の言葉を比べ、例文を読み、「この場合はどの表現が一番合うだろう」と考える。
ところが今は、文章をそのまま翻訳ソフトに入れてしまえば、英文が一瞬で出てきます。
確かに、答えは手に入ります。
でも、その過程で「自分で考える」という一番大切な時間が、すっぽり抜け落ちてしまうのです。
果たして、それで本物の英語力が身につくのでしょうか。
僕は、タブレットや翻訳機能が悪いと言いたいのではありません。
便利な道具は、上手に使えば大きな力になります。
ただ、「答えを得ること」と「学ぶこと」は、同じではない。
これは大切なことだと思っています。
学窓社の授業では、できるだけ辞書を使ってもらっています。
小学生や中学生の頃から紙の辞書に慣れ親しんでいる生徒さんは、高校生になっても、自然と机の上に辞書を置きます。
僕自身が学生だった頃はもちろん、塾で教壇に立ち始めてからも、電子辞書が高校生の間に広く普及し始めた2000年代初頭までは、厚みのある紙の辞書を手元に置いて勉強するのが当たり前でした。
あの頃の辞書は、今思えばずいぶん不便でした。
重い。 厚い。 目的の単語を見つけるまでに時間がかかる。
ところが、その「不便さ」の中に、意外な宝物がありました。
辞書は、単に「ひく」ものではない。
辞書は、「読む」ものです。
英語で「辞書をひく」は、よく consult a dictionary と表現します。
consult というのは、「相談する」という意味。
英語では「辞書から答えを取り出す」というより、「辞書に相談する」のです。
これは、なかなか味わい深い表現だと思いませんか。
「この言葉でいいのかな」「ほかに、もっとふさわしい表現はないかな」「この単語には、こんな使い方もあるのか」
そんなふうに辞書と相談しながら、自分の言葉を選んでいく。
辞書は、こちらが問いかければ、いろいろなことを教えてくれます。
ただし、答えを一つだけ突きつけてくるわけではありません。
似た言葉、反対の言葉、例文、語法、語源……。
ページをめくっていけば、最初の質問から思いもよらないところへ連れて行ってくれる。
だから僕は、辞書をひくことを「調べる」だけではなく、「辞書と相談しながら、言葉の道を歩くこと」だと思っています。
目的の単語を探してページをめくっていると、その途中で別の言葉が目に入ります。
「こんな言葉もあるのか」
そう思って、また少し読む。
すると、その言葉の横に、また知らない言葉がある。
そして、気がつけば、最初に調べようとしていた単語から、ずいぶん遠くまで来ている。
これを僕は、勝手に「辞書の散歩」と呼んでいます。
以前、あるコラムでこの「辞書の散歩」の面白さを紹介している文章を読んで、思わずなるほどと思ったことがあります。
五十音順の辞書では、甘やかな「バレンタインデー」のすぐ近くに、「破廉恥(はれんち)」という、なんとも不届きな言葉が並んでいる。
「クリスマス」の後ろには、「苦し紛れ」が控えている。
英語の辞書なら、「friend(友達)」の隣に「frighten(怖がらせる)」が潜んでいたりします。
意味も由来もまったく違う言葉なのに、ただ辞書の中で隣り合っている。
こんな偶然に出会えるのも、辞書の面白さです。
目的地だけを目指している人には、見えない景色があります。
大学時代の僕は、勉強の合間に辞書を開いて、そんな寄り道をよくしていました。
「この言葉の反対語は何だろう」
「似たような単語には、どんなものがあるんだろう」
「この単語は、こんな使い方もするのか」
そんなことを繰り返しているうちに、日本語も英語もずいぶんと語彙が増えていったと思います。
振り返ってみると、あれは単なる「単語調べ」ではありませんでした。
言葉の世界を歩いていたのです。
今は、何かを調べればすぐに答えが出てきます。
検索すれば一瞬。 翻訳すれば一瞬。 分からないことがあれば、AIに尋ねれば、それらしい説明まで返ってきます。
これは、本当に便利な時代です。
でも、便利になったからこそ、「答えにたどり着くまでの時間」をどう過ごすかが、以前より大切になってきたのではないでしょうか。
最短距離で目的地に着くことだけが、学ぶことではありません。
道端に咲いている花に気づく。 知らない路地を少し歩いてみる。 偶然出会った人と話をする。
そんな「寄り道」の中に、思いがけない発見があります。
辞書も同じです。
目的の単語を見つけたら、そこで閉じてしまうのではなく、その周りを少し眺めてみる。
隣の単語を読んでみる。
例文を読んでみる。
似た言葉との違いを考えてみる。
そうしているうちに、最初は知らなかった言葉が、いつの間にか自分の言葉になっていく。
教育のDX化が進み、教科書や教材も少しずつデジタルへと移行しています。
その流れを止める必要はないと思います。
ただ、僕は一つだけ心配しています。
「効率よく学ぶこと」と「深く学ぶこと」は、必ずしも同じではない。
無駄に見える時間の中にこそ、考える力や、言葉を味わう感性が育つことがあります。
だからこそ、学窓社では、これからも紙の辞書を大切にしていきたいと思っています。
遠回りかもしれません。
でも、遠回りだからこそ見える景色があります。
おすすめは、大修館書店の『ジーニアス英和辞典』と『ジーニアス和英辞典』です。
生徒の皆さん。
たまにはスマートフォンやタブレットから少し離れて、紙の辞書を開いてみませんか。
調べたい言葉を一つ決めて、ページをめくる。
そして、目的の言葉にたどり着いたら、すぐに辞書を閉じない。
その周りを、ほんの少し歩いてみる。
きっと、思いがけない言葉との出会いがあります。
辞書には、答えだけではなく、道があります。
今日はどこまで散歩してみようか。
そんな気持ちで辞書を開いてみるのも、勉強の一つであると思っています。