塾長ブログ No.178 2026/9/1 叱られることも、成長のきっかけ
塾長ブログ僕も若い頃は、よく生徒さんを叱っていました。
宿題をやってこない。無断で遅刻・欠席をする。授業中、こちらが一生懸命説明しているのに隣の生徒さんとおしゃべりをする。
単語テストや確認テストの勉強を全くしてこなくて、ほぼ0点を取ってしまう。
そんなことがあれば、かなり厳しく叱っていたと思います。
……まあ、「若い頃」と言いましたが、つい最近もちょっと大きめの爆弾を投下しました(笑)。
ただ、僕は「叱る」と「怒る」は違うと思っています。
感情にまかせて相手を責めるのが「怒る」。
一方で、相手のためを思い、なぜそれがいけないのかを伝え、これからどうすればいいのかを考えさせるのが「叱る」。
僕はそう考えています。
最近は、学校でも家庭でも、昔ほど子どもたちが叱られる機会が少なくなっているようです。
僕と同じような年代の学校の管理職の先生方とお話ししていると、
「最近の若い先生は、子どもたちを叱れなくなった」
という話を聞くことがあります。
もちろん、若い先生方が悪いわけではありません。
生徒さんに嫌われたくない。保護者とのトラブルを避けたい。言い方を間違えれば、すぐに問題になってしまう。
そんな事情もあるのでしょう。
僕自身も、これまでに「なぜ先生がうちの子を叱るのですか」と言われ、退塾されたことがあります。
大学へ進学したいと言っているのに、こちらが指示した勉強を全くせず、テストの点数も惨憺たるもの。
そこで、
「本当に大学進学を目指しているの? だったら、どうして勉強しないの?」
と本気で叱りました。
また、授業中の態度が悪く、ふてくされて号令の挨拶もきちんとできなかった生徒さんに、
「そんな挨拶じゃダメ。やり直し」
と言ったこともあります。
すると、
「うちの子、先生に『ダメ』って言われて、もう行きたくないと言っています。そんなひどいことを子どもに言ったのですか」
と。
まあ、親子の間で上手に切り取られたのだと思います(笑)。
もちろん、僕の言い方にも反省すべきところはあったでしょう。
でも、ここで僕が考えてしまうのは、
「子どもを叱らないことが、本当に子どものためになっているのだろうか」
ということです。
以前、ある本を読んでいて、とても印象に残った話がありました。
最近の若者の中には、学校生活の中で「叱られる」という経験が少なく、社会に出てから上司や先輩に注意されると、たとえ自分に非があっても「ムカつく」「自分を否定された」と感じてしまう人がいるというのです。
「注意された=攻撃された」
と受け止めてしまう。
これは、ちょっと怖いことだと思います。
もちろん、理不尽な叱責や人格を否定するような言葉はあってはいけません。
しかし、自分の間違いを指摘されたり、行動を改めるように注意されたりすることまで「自分への攻撃」と受け止めてしまえば、自分を成長させる大切な機会を失ってしまいます。
社会に出れば、誰だって失敗します。
仕事でミスをすることもある。時間を守れないことを注意されることもある。自分の考え方を否定されることもある。努力が足りないと言われることもある。
そんなとき、
「自分はダメな人間だ」
と落ち込んで終わるのではなく、
「何がいけなかったんだろう」「次はどうすればいいんだろう」
と考えて、自分を修正していく。
僕は、そんな力を身につけてほしいと思っています。
だからといって、僕は「子どもは厳しく叱ればいい」と思っているわけではありません。
むしろ逆です。
叱るからには、その子が「なぜ自分は叱られているのか」を理解できるようにしなければいけない。
ここが一番大切だと思っています。
宿題を忘れたから叱る。
でも、本当に伝えたいのは、
「宿題を忘れたから先生が怒っている」
ということだけではありません。
大学受験をするなら、自分で決めたことを実行する力が必要です。
時間を守ることも、約束を守ることも、勉強をすることも、すべて将来につながっています。
だから、
「今の自分の行動が、将来の自分にどうつながっていくのか」
そこに気づいてほしいのです。
テストの勉強をしてこなかった生徒さんを叱るのも同じです。
「0点だったからダメ」
と言いたいのではありません。
できなかったなら、次にできるようにすればいい。
そのためには、勉強しなければならない。
その当たり前のことから逃げているのなら、
「本当にそれでいいの?」
と伝えてあげることも、僕の仕事だと思っています。
そして、もう一つ大切なのが「失敗する経験」だと思います。
最近は、子どもたちができるだけ傷つかないように、失敗しないように、大人が先回りして守ってあげることが増えました。
もちろん、子どもを守ることは大切です。
でも、いつも周りの大人が困難を取り除いてしまえば、子ども自身が困難を乗り越える経験ができません。
失敗する。
注意される。
悔しい思いをする。
自分の力不足を知る。
そして、もう一度やってみる。
そういう経験の積み重ねによって、人は少しずつ打たれ強くなっていくのだと思います。
「何があってもへこたれない強い人」になる必要はありません。
一度落ち込んでも、また立ち上がれる。
失敗しても、「次はどうしよう」と考えられる。
注意されても、自分に必要なことなら素直に受け止められる。
そんなしなやかな強さを身につけてほしいのです。
もちろん、ほめることも大切です。
僕だって、生徒さんが頑張っている姿を見ると、いっぱいほめます。
以前できなかった問題ができるようになった。英単語を覚えられるようになった。テストの点数が上がった。苦手だった英語を頑張っている。
そんなときは、僕も本当にうれしい。
ただ、何でもほめればいいわけではないと思います。
頑張っていないのに「よく頑張ったね」と言われても、それは本当の自信にはならないでしょう。
逆に、自分が一生懸命努力した結果を認めてもらえれば、それは大きな自信になります。
大切なのは、
「あなたはすごい」と無条件にほめ続けることではなく、「あなたは頑張った。そして、ここからもっとできるようになる」と伝えること。
僕はそう思っています。
年を取ってから、生徒さんを叱るのは本当に大変です(笑)。
叱るというのは、ものすごくエネルギーを使います。
だから最近は、何度か注意しても改善が見られないときには、それ以上言わないこともあります。
「もう知らない」と突き放すのではありません。
「いつか本人が気づいてくれたらいいな」
と思って、あえて黙って見守るのです。
生徒さん自身が気づかなければ、本当の意味での成長にはならないからです。
そして、いつか大人になったとき、
「あのとき先生に叱られた意味が、今になってわかった」
と思ってくれたら、それで十分です。
学窓社ゼミは、ただ勉強を教える場所ではありません。
もちろん、英語や数学の成績を上げることは大切です。
高校入試、大学入試に合格することも大切です。
でも、それと同じくらい、
約束を守る。努力を続ける。失敗したら原因を考える。人の話をきちんと聞く。間違いを指摘されたら、自分を振り返る。
そんな、人として当たり前のことを身につけてほしいと思っています。
だから僕は、これからも必要なときには生徒さんを叱ります。
嫌われるかもしれません。
「怖い先生」と思われるかもしれません。
それでも、僕はそれを恐れてはいけないと思っています。
生徒さんに好かれることだけを考えるなら、何も言わずに「よくできたね」「頑張ったね」と言っている方が楽です。
でも、それだけでは本当の教育にはならない。
大切な生徒さんだからこそ、間違っているときには「それは違うよ」と言ってあげたい。
そして、叱られた生徒さんにも、
「先生は僕を嫌いだから叱ったんじゃない。僕のために言ってくれたんだ」
と、いつか気づいてほしい。
僕が願っているのは、それだけです。
叱ることも、ほめることも、見守ることも、すべては生徒さんの未来のため。
「あの塾に通っていてよかった」
大人になったとき、そう思ってもらえるような教室でありたい。
それが、僕がこれからも学窓社ゼミで大切にしていきたい教育です。