塾長ブログ No.174 2026/7/7 「サラダ記念日」が教えてくれる、ことばの力
塾長ブログ「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日。
今日は七夕。織姫と彦星が一年に一度だけ会える日です。
そして昨日、7月6日は「サラダ記念日」でした。
これは、歌人・俵万智さんが1987年に出版した歌集『サラダ記念日』の冒頭に収められた短歌です。
「この味がいいね」という、何気ない一言。それだけで、その日が特別な記念日になる。
この短歌が40年近く経った今でも多くの人に愛され続けているのは、日常の何気ない瞬間を、たった三十一文字で鮮やかに描き出しているからでしょう。
でも、この短歌の魅力は、言葉そのものだけではありません。
「二人はどんな雰囲気だったのだろう。」
「どんなサラダだったのだろう。」
「どんな表情で『この味がいいね』と言ったのだろう。」
そんなことを想像することで、この短歌はより豊かな作品になります。
つまり、「行間を読む」ということです。
さて、先週末から今週にかけて、多くの高校でベネッセの全国模試が実施されています。
高校1年生から高校3年生まで、国語や英語では30字程度から100字程度の記述問題が出題され、学年が上がるにつれて求められる文章量も増えていきます。
その中で、最近特に感じるのが、小説問題を苦手とする生徒さんが増えてきたことです。
小説には、登場人物の気持ちがそのまま書かれていることはほとんどありません。
会話や表情、しぐさ、情景描写などから、その人物の心情を読み取り、自分の言葉で説明することが求められます。
ところが、ここ数年、この「文脈を読む力」「行間を読む力」が弱くなってきていると言われています。
その背景の一つとして指摘されているのが、SNSやLINEを中心とした短文コミュニケーションです。
今の高校生は、幼い頃からスマートフォンやタブレットが身近にあり、友達とのやり取りも「了解」「りょ」「おけ」「大丈夫」といった短い言葉だけで会話が成立する環境で育ってきました。
そして、その傾向は高校生だけではありません。中学生、小学生へと広がり、コミュニケーションの低年齢化も急速に進んでいます。
短文でのやり取りは便利です。しかし、その反面、相手の考えや気持ちを丁寧に説明したり、言葉の裏側にある意図を考えたりする機会は少なくなります。
実際に教育現場では、こんな例が紹介されています。
先生が「入試の面接はどうだった?」と尋ねると、「女でした」と答えてしまう。
「顔色が悪いな。帰ってもいいからな。」という先生の気遣いを、「怒られた」と受け止めて泣き出してしまう。そして、それを聞いた保護者が学校に抗議する。
「山頂から見た夜景は、震えるほど美しかった」という作文を読んで、「高い所が怖くて震えた」と理解してしまう。
どれも言葉だけを受け取り、その場の状況や話の流れ、比喩表現を結び付けて考えることができなかったために起こったものです。
もちろん、すべてがSNSやLINEの影響とは言えません。
しかし、短文だけでコミュニケーションが成立する生活が長く続けば、まとまった文章を読み、文脈を考え、相手の意図を推し量る経験が少なくなってしまうことは想像できます。
国語の力とは、単に漢字や文法を覚えることではありません。
文章を読み、考え、想像し、自分の言葉で伝える力です。
そして、この力は国語だけではなく、英語の記述問題、小論文、面接、さらには大学受験や社会に出てからのコミュニケーションまで、あらゆる場面で必要になります。
では、どうすればこの力は身につくのでしょうか。
特別な才能は必要ありません。
文章を最後まで丁寧に読むこと。
「なぜ、この人物はこんな行動をしたのだろう。」
「この一文にはどんな意味があるのだろう。」
そんなことを考えながら読む習慣をつけることです。
さらに、読んだ内容を要約したり、自分ならどう感じるかを書いてみたりすることで、「読む力」と「書く力」は確実に伸びていきます。
学窓社ゼミの高校生の授業では英語・国語ともに、問題の解き方だけを教えるのではありません。
文章を深く読み、根拠を見つけ、自分の言葉で説明する。
そんな「ことばの力」を育てる授業を大切にしています。
今夜が晴れそうならば七夕の夜空を見上げながら、ふと「サラダ記念日」の短歌を思い出してください。
たった三十一文字の短歌が、多くの人の心を動かし続けているのは、その言葉の奥にある気持ちを、私たちが自然に読み取っているからなのでしょう。
学窓社の生徒さんにも、そんな「ことばの力」を身につけてほしい。
今年の夏も、一冊でも多くの文章と向き合い、一つでも多くの「なるほど」を積み重ねていってほしいと願っています。